葬式の歴史

1635年(寛永12年)ごろ、日本人全員を近くの寺に帰属させる寺請制度が始まり、1700年(元禄13年)年ごろには、位牌、仏壇、戒名といった制度が導入され、それまでは「葬式組」と呼ばれる村落共同体のグループが葬式を仕切り、棺や装具をつくったり炊き出しをしたりしていたものが葬式に僧侶がつくようになりました。

浄土真宗、日蓮宗を除き日本の伝統仏教においては、葬儀は死者に対する授戒成仏が主たる意味を持ち。つまり、死者を仏弟子となるべく発心した者とみなし、戒を授け成仏させるための儀式だったのです。

浄土真宗では教義上、無戒のため授戒はなく、阿弥陀如来に帰依し宗祖親鸞の教えを守ることを誓願する帰敬の式となります。迷信を忌む宗風から、日や方角の吉凶を選ぶ、守り刀、逆さ屏風、左前の死装束、北枕、六文銭の副葬、振り塩などの習俗は、原則としておこないません。

日蓮宗では法華経を受持すること自体がすでに戒を保つことであるとして死後あらためて受戒を行いませんが、地域によっては通夜の際に受戒作法を行う場合もあります。


葬式時の祭壇の例葬儀の流れは宗派や地方により多少異なりますが、大まかな流れは、まず死後すぐに枕経を行い湯灌(遺体を拭き清める)をした上で納棺し通夜を行う。翌日に葬儀と告別式を行い火葬・拾骨(又は土葬)する。現代においては、会葬者が頻繁に集えないことや会場が葬儀場で営まれることなどから、本来7日後に行なう初七日を引き続いて行なうことが多い。初七日は火葬を終えて自宅に帰る途中に所属寺院(菩提寺)に立ち寄って行われるか、自宅に帰り、還骨のお経を兼ねて行われることが多いです。有名人などの葬儀で、密葬を行ったうえで本葬を行う場合、本葬終了後に初七日を行うケースもあり、この場合は死後7日以上経過していても初七日として法要が行われます。

遺族は、死者の追善を7日ごとに49日間行うものとされ、この期間を中有または中陰と呼ぶ。初七日はその最初の法要である。現代では、この7日ごとの法要を全て行うことは稀で、初七日と七七日の法要のみを行う場合が多い。ただ、一部の地方によっては、初七日と七七日まで全て行えるように、参列者の都合を優先し、土曜日や日曜日に法要をずらすこともあります。七七日法要は一般に壇払い、または壇引きと呼ばれるもので、死者の遺骨や位牌を安置していた中陰壇を取り払うことからこのように呼ばれる。壇払いを済ませると服喪期間が終了し、遺族は日常の生活に戻るのです。



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